ひとりのわたし

躁うつになりましたが わたしはわたしです♪

貧乏からの。

雑貨屋のディスプレイのようなデザインで、本当は机の上を配置したい…けど、上手く行かないね。

 

ボックスの中身を整理してたら、途中で書き終わっているノートばかりが、ルーズリーフ並に出てくる。

 

私自身は、かなりの気分屋と自負していますが、本当に気に入った訳ではなく、気分屋そのままに無駄遣いをしている私自身に、改めて気付かされました。

 

今の文房具は、素敵ですよね。

 

以前と比べらたら、自分自身の用途に合わせて、カスタマイズできる選択肢が、たくさん増えています。

 

今、私が学生さんなら、もっと勉強ができて、楽しかっただろうと思ってしまいます 笑

 

それぐらい魅力的な文房具が、ジャンル問わずに増えているんですよね。

 

いいなぁ〜♪

 

私自身は昔、10年まではいきませんが、とても貧乏時代がありました。

 

病院代などの治療費、交通費、色んな支払いなどが、今月は大丈夫かな?と思うばかりの不安な1日を過ごす毎日でした。

 

何もかもが、圧迫されてましたね。

 

うつ病になってから…実感としては、もしかしたら最近までかもしれません。

 

貧乏時代の時って、本当に100円ショップ自体が輝かしいほど、キラキラとした魅力的を感じます。

 

今現在も100円ショップのクオリティは、すごいなと正直たくさん感じますが…昔ほど、行く回数は圧倒的に減ってきてます。

 

ある意味100円ショップ好きの私自身からすれば、少しずつ悲しことなんです。

 

あれだけ毎日のように、買い物をしていた100円ショップへ行かなくなったのは、私自身の中で“物の価値感”が、変化し始めているからです。

 

私自身は物心ついた頃から正直に言えば、高級なブランド品に興味がありません。

 

ある意味、私自身には似合わないという思い込みもありますが、それだけ興味がないんです。

 

安かろうが高かろうが、良い物でも私自身に似合わなければ、やっぱり物の価値が引き出せないんです。

 

確かに出逢って来た人達は、それなりの身なりで、ふさわしい物を身に着けていますが、私自身からすれば見栄を張るような生き方は、できませんでした。

 

当時の私自身の心の中では、相手の羨ましさから比較したり、強い劣等感を感じることさえありましたが、だからといって、歯を食いしばるほどの見返したい心の強さは、ありませんでした。

 

 

何で貧乏な時って、あんなに物を必要以上に欲しがるんですかね。

 

本当の生活よりも、心の豊かさが貧しくなるんですかね。

 

今現在の私自身は、確かに物の価値感が変わってきてます。

 

だけど、その時に“本当に今、必要な物なのか?”だけは、常に心の中で問いかけています。

 

改めて、不必要な物だらけで、生活していたんです。

 

このブログを拝見して下さる皆様の年齢は、正直に言えば、私自身は確認をできていませんが、私自身からすれば、年相応の身なりで、それなりの価値がある物を1つ身に着けているだけでも、私自身はとても素敵だと思います。

 

質素と貧乏は似ているけど、見方としては違うかもしれません。

 

嘆きたくなる時ほど、もしかしたら雑草でいないといけないのかもしれませんね。

 

あくまで、私自身の見解なんですけどね…。