“普通= ”
基準、ものさし、常識…。
ふとした瞬間に、この“普通”って言葉にとらわれているような気がします。
住む環境、育ってきた境遇、教えられたこと…少しでも異なれば、“普通”は変化してくる。
“普通の人間”って、何でしょうか?
私は、一週間前に壊れました。
お仕事が嫌だから、人間関係に疲れたから…。
そんな理由は、実際ありませんでした。
確かにその日、嫌なことも泣きましたし、感動することも泣きました。
その両方を経験しました。
その両方を経験して、気付かされました。
職場の人達は、実際どう思ったかはわかりません。
ただ1つ言えることは、“私自身が私をとめなきゃいけなかった”です。
大したことではないことに、パニックなったのは、私自身です。
その出来事のあとに、気付きました。
当時の私は、“尋常じゃない域”だったと。
五体満足。障害のない人間に、障害を理解するのは、時に困難を要します。
訴えたところで理解するのかは、相手側の判断です。
かなり語弊のある表現ですが、当時の私は“普通の人間とは?”を知りたかったんです。
“普通の人間”にとらわれていたのは、私自身です。
うつ病の私からすれば、休まずにお仕事をするのは大変困難ですし、結果は無理でした。
壊れてしまいました。
だけど…今思えば、私自身その経験は無駄ではなく、むしろ感謝したかったです。
無謀だと知っていても、チャレンジするのはただなので。
“厳しさ”と“優しさ”をありがとうごさいます。