ひとりのわたし

躁うつになりましたが わたしはわたしです♪

日常。

(´⌓`)。○

 

ため息よりも眠気が…

 

気温が低いせいか、今日は体調的にも精神的にも、どんよりだるさを感じます。

 

正直しんど…い?

 

ようやく夕方から活動。

 

ホットココアを飲んで、洗濯物を干して、お風呂を掃除して、今はすっかり忘れてたびわ茶を飲んでいます。

 

ちょうどいい飲みやすさです 笑

 

 

 

『もう半歩』

 

 

 

夕方に放送していた地元番組内のコーナーで、取材した企業の社長さんが、紹介した言葉です。

 

『限界+何かの努力』

 

確かに。

 

 

 

がんばっているよ(๑˃ᴗ˂)ﻭ

 

 

怖くなかったよ。

昨日の夜からSNSやアプリを通じて、色んな方とやりとりをしていますが、初心者とはいえども、とても楽しい時間を過ごさせてもらっています(*´▽`*)♪

 

以前の私は、見ず知らずの人達とやりとりをするのが、正直抵抗があり、好きではありませんでした。

 

ただ…『うつ病の私でも何かできるはず』という気持ちから、以前とは違う一歩前へを踏み出してみました。

 

以前の私と現在(いま)の私は、根本的には同じでも、違うところも気持ちとしてはあります。

 

やりとりをしてみると気付かされます。

 

十人十色で、それぞれ違うけど、みんな同じ“人間”なんだと…。

 

カタチは違うけど、悩みは一緒なんです。

 

以前とは違う“視点の見方”ができたら、楽しいかもしれません♪

 

おかげさまで、今日は調子が良くて、全然寂しくないです。

 

(*´꒳`*)

 

 

続ける理由。

今日は、近所から離れた場所まで色々お散歩をしたら、結局疲れました。

 

ちょっと疲労感が…。

 

お仕事復帰に対しては、全く焦り感情はありませんが、ただ気持ちとしては悲しくなりました。

 

“私自身は、今の会社に必要性があるのでしょうか…?”

 

実は半年ぐらい前から、この気持ち?考えが、ずっとありました。

 

色々とありますが、社員をはじめ職場の皆さんは、とても優しい方々です。

 

厳しさと優しさを、たくさん頂きます。

 

私自身は休みがちですが、お仕事内容も嫌いではありません。

 

では、何でそんな気持ち?考えになったかといいますと、ある約束があったからです。

 

私が今の会社にパートとして働き始めた時に、ある2人の女性と仲良くなりました。

 

1人は年上のベテラン女性パートさん。もう1人は年下ですが、まるで師匠のような派遣社員の女の子でした。

 

お仕事内容はそれぞれ違いましたが、何かあれば色んな話をして、他愛のないことに笑うという何気ない毎日でした。

 

休みがちな私を心配してくれたり、「必要よ」と言ってくれたのも、2人でした。

 

今思えば、“鼓舞する存在”だったかもしれません。

 

2人にもそれぞれ事情があり、悩みもありました。

 

その変化がちょっとずつ起き始めたのは、昨年の夏頃まで続き、環境が変化しました。

 

最初に、ベテラン女性パートさんが退職し、次に派遣社員の女の子が退職しました。

 

事情とはいえ、2人が退職したのは、私自身にとって大きな出来事でもありました。

 

「3人の中で誰かが辞めたら、3人とも辞めよう」という冗談のような約束事がありました。

 

あの言葉が、2人がいなくなった時から、私の中ではずっと引っかかり、私だけが取り残されてしまいました。

 

“必要性”とは、何でしょうか?

 

出逢いと別れは、人間(ひと)を強くさせます。

 

励ます言葉はあっても、別れの言葉は2人ともありませんでした。

 

でも、正直にいえば…寂しかったです。

 

この大きな出来事から、私自身は現実が飲み込めず、お仕事に対しての考えが変わってしまいました。

 

それでも、退職しない私自身が一番不思議なんです。

 

線を引けない理由があるのかもしれません。

 

 

明日は明日の風が吹く。

結局あれから…思考停止?に近い状況に。

 

正直、焦りはないけど、結局心の中は不明のまま。

 

明確なことを出さなくても、今はいい気がします。

 

思ったことをすればいいよ。

 

無理をしたから、おかしくなって壊れたんだよ。

 

おろおろ迷子(..`)

 

立ち止まってはいないよ。

 

ちゃんと前に進んでいるよ。

 

 

30分。

何か疲れた…。

 

最近ずっと、近所の河川敷のお散歩を続けているけど…今日が一番疲れた。

 

夕方の遅い時間だったけど、思っていた以上の人の多さに、ちょっと引いたといいますか…何か苦手感を感じてしまった。

 

特別何かあったわけでもなく、何か気持ち的に…。

 

ただ、BSで放送される大河ドラマ麒麟がくる』を見るために、お散歩は30分で終わった。

 

あれは、ほぼウォーキングだったけど、夕方の時間帯は避けたくなった。

 

お仕事復帰を考えて、早朝の時間帯にしてみようかな?

感じたこと。

改めて、世の中には色んなアプリがあります。

 

ずっとお気に入りのアプリもあれば、アンインストールをされて、新しいアプリとチェンジする場合もあります。

 

静養中、大半は自分探しをするように、色んなアプリを探して、気になればインストール。

 

何か違うなと感じたら、アンインストールを

ひたすら繰り返します。

 

最近ですが、直接相手の顔を見ないでやり取りをするアプリには、色々と相性もあるけど、それなりの“距離感”があることに気付かされました。

 

まるで小さな世界であり、社会ですよね。

 

仕事をしていた時は、そういうアプリを使わないので、ほぼやり取りがないから、コミニケーションも乏しくなります。

 

実際の私自身は、弾丸のようなお喋り好きですが、あえてお喋りしないようにしています。

 

やっぱり、“相手との距離感”がありますので。

 

だから、たまに痛感させられます。

 

実際の私自身と現実の実年齢の差に…。

 

10年以上もうつ病と付き合い、うつ病の世界しか知らない私自身にとっては、正直今の現実を突きつけられるたび、大きなズレを強く感じてしまいます。

 

多分、私自身が内心に気付いてしまい、心苦しさを感じたから、壊れたのかもしれません。

 

『人間勉強』って大変だ。

 

人間学習』かな?